我が子に会いたい 祖国と青年2018.12

わが子に会いたい親子断絶を助長する司法の問題点

祖国と青年 30年12月号 p44~
メリーランド州立大学講師 エドワーズ博美

「連れ去り」は子の利益?

 目の前に一本の動画がある(https://youtu.be//FlrOUmOddMw ※掲載当時のURL)。8年前撮影されたその動画の中で、泣きじゃくる2歳のわが娘に父親が詫びるように言っている。「ごめんね、またすぐ来るから」「お仕事で会えないけど、パパまたすぐ来るから」
 仕事で出張する父親がそれを寂しがる娘にかけた何気ない言葉のようにも聞こえるが、ひとつだけ決定的に違うのは、この父親っ子だった幼子はこの動画が撮影された三か月前に急に父親から引き離され、久しぶりに会ったこのときも自分がまた父親から引き離されることを察して泣きじゃくっているのだ。そして、この父親は8年経った今も未だわが子に会えていない。
 本誌平成28年2月号と30年8月号の二回にわたって、「連れ去り被害の実態」をレポートしたが、この父親(B氏)も同じく配偶者に娘を連れ去られ可愛いわが子に会えないでいる連れ去り被害者の一人である。
 前回の記事ではA氏の事例を参考に「各地の女性センターが離婚を奨励する離婚斡旋所になっている現状」と「行政が発行する支援措置が冤罪DV加害者を作り上げ親子の断絶を助長している現状」を報告した。A氏の場合、冤罪DV加害者に仕立てあげられたあと行政が壁のように立ち塞がり娘に会うことができなかった。B氏の場合は司法が親子断絶を助長している。
 ある日突然、配偶者が子供を連れ去り我が子に会えなくなってしまう。やむを得ず親権を得るために調停や家事審判手続きに入った場合、一体裁判官は何を基準に審判を下すのだろうか。離婚問題に詳しいとされるある弁護士は「子供を連れて家出しても裁判に不利にならないのか」という質問に対して次のようにブログに記している。

 

  • 別居が避けられない状態になっている夫婦では双方にストレスがかかっていて、子供の心身の健やかな成長にも悪影響を及ぼしており、夫婦が別居することが子供にとっても良いことが多い。どちらの親と住むかは別にして別居は「子の利益」にも繋がるといえる。子連れ別居を強行したとしても、やむを得ないこと、子の利益につながることをしたという面がある。
  • 別居期間が長引くと「子供は今の親との生活に馴染んでいる。何度も環境を変えるのは子供の利益にならない」という判断から、同居親が親権者として有利である。子供と離れて暮らしている親に、別居前に主に養育していて監護実績があり経済力もあるとしても不利になっていく。
  • 別居した場合、子供は同居している親との生活環境に馴染んでおり、他方の親とは完全に離れた生活を送っている。それを突然変えることは子の不利益も大きい。そのため、別居親による連れ去りは相手方の同意がない限り原則として違法とされ、親権者としては不利になる。

 要するに、最初に子を連れ去り何年ももう一方の親と子の関係を断絶した親は無罪放免で、それを理不尽に思う親が連れ戻そうとした場合は違法という、まことにおかしな構図ができている。裁判官らは離婚を考えている夫婦にとっては連れ去りも「子の利益」と言うが、泣きじゃくるB氏の幼子を見て、それでも「子の利益」といえる人は人間の心のかけらも持ち合わせていないと言わざるを得ない。

「子供を連れ去った者勝ち」の二審判決

 B氏の親権を巡る裁判の一審判決は、この構図を改める画期的なものであった。家裁の裁判官は「長女が両親の愛情を多く受けるためには多数の面会を約束した夫に養育されるべきだ」と判断し、父親と娘との面会交流を月一日しか認めない(しかもその時点で5年間、一度も娘を父親に会わせなかった)母親よりも、母親と娘との年間100日の面会交流を提案した父親を親権者とした。しかし、勝訴判決の後、母親側弁護士がありもしないDVを声高に主張し、父親にDV加害者のレッテルを貼ってしまった。そのあげく、二審では敗訴した。二審である高裁での判決基準は、前述した「子供は今の親との生活に馴染んでいるから、環境を変えるのは子供の利益にならない」というものだった。
 せっかく一審で覆された構図が二審ではまた元の「子供を先に連れ去った者勝ち」という非道な構図を支持した形になった。前例を踏襲した事なかれ主義の判決である。しかしこうした判決には子供の成長にとっては両親の存在と愛情が欠かせないという考えが完全に欠落している。
 また一男二女を連れ去られた父親(C氏)は最初こそ長男の親権を与えられていたものの、親権を行使して長男の学校と関われば関わるほど子供の母親に疎まれ、ついには親権を失い、「子らの意向」という名目で死刑囚でも月複数回の直接、間接の交流が認められるのに、現在「2か月に1回」の手紙による交流しか認められていないという。C氏もまたこうした裁判官の審判を次のように批判している。「国民の奉仕者たるべき裁判官に、親子関係維持・回復の意識なく、どうせ他人事、判決がその後の国民に与える影響の責任は問われまいと、平気で民法766条に反し親子断絶を促進している」
 2011年に娘を連れ去られたA氏はその後和解し、和解時に月1回の面会交流の約束をして2015年に正式離婚した。それでも会えないので2016年に面会調停を申し立てたが、そのすぐ後で娘が「アスペルガー症候群」であるという偽りの診断書を出されて面会拒否された。2017年に面会調停から面会審判に切り替えたが、裁判官は一言「元妻と2人で協議してくれ」と言ったのみで何の進展もない。ここでも裁判官の事なかれ主義が父子の再会を阻んでいる。

離婚弁護士による家族解体を許すな

 興味深いことに、彼ら「連れ去り被害者」の元妻の弁護士はどれも共産党系かフェミニストである。こうした離婚弁護士の頭には「家族の大切さ」などと言った言葉は存在しない。離婚弁護士は、子供を先に連れ去り、虚偽のDVを主張し、何年も親子の間の関係を引き離せば、裁判官が親権をくれることを母親に教唆し実行させる。最愛の子供を奪われた上に全く身に覚えのないDVで裁判所に訴えられたら、どんな温和な男性であっても怒るであろう。しかし、離婚弁護士からすればそれで良いのである。夫婦でお互いに罵り合い「別居が避けられない」状態にしなければ裁判にならない。仲直りなどもってのほかである。そして、めでたく離婚を成立させると成功報酬(財産分与の20%)や養育費の10%が彼らの収入として入るので、こんなおいしい話はない。彼ら左翼弁護士にとっては子供のために協力し合う夫婦の姿は唾棄すべきものでしかない。彼らは、男女関係をお互いに助け合う関係とは決して見ずに、闘争関係としてしか見ず、闘争にいかに勝利するかしか頭にない。親子を断絶させることで、親や子がどんなに傷ついているかなど一切お構いなしだ。夫婦の間で子供を先に拉致した者勝ちなどという非道な構造を作り夫婦を戦わせ、家族を解体し、それによって金儲けしている。人間がする所業ではない。
 我が子に会いたくても会えないでいる「連れ去り被害者」である父親たちが異口同音に望むことがある。それは、

  • 法改正して、諸外国のように離婚後は片親にのみ親権を与えるのではなく、両方の親に親権を与える共同親権を採用すること。
  • DV加害者としてのレッテルを貼られて罪も無い父親が苦しまないように、DV法を改正してDVの定義を厳格にする。その上で、DV被害があったと主張する場合は警察もしくは第三者機関が介入して調査をすること。
  • 「子の連れ去り」は「実子誘拐」であり「拉致」であることを認識して、諸外国のように犯罪扱いにして罰則を科す。なお、虚偽DVを主張した親には原則、親権を付与するべきではない。

 戦後、家族条項が憲法から消え、それに添う形で民法からも家父長制が削除され個人主義が蔓延する世の中になってしまった。家族制度という言葉も死後になりつつあり、離婚増加に歯止めがかからない。離婚した親の子は結婚しないか、しても離婚を繰り返す確率が高くなるという調査結果がアメリカではすでに何十年も前に出ている。また、連れ去られた子供がその実母と継父により殺される痛ましいケースが連日ニュースになっている。殺された子供が実父と定期的に会えていれば救えていた可能性は高い。加えて、子供を拉致された親の多くが、それを苦に自殺に追い込まれている。日本の家族制度は、離婚弁護士らにより完全に解体の危機に瀕しているといえる。安倍政権が「戦後レジュームからの脱却」を目指し、少子化対策に本気で取り組む気があるなら、まず第一に取り組むべきは家族の再生である。
 そして日本の家族再生のためにはまず前述したような悪徳弁護士を処罰することから始めるべきである。